新人に月次業務を引き継ぐため、共有フォルダの「手順書」を開く。似た名前のファイルがいくつもあり、正式なマニュアルより担当者のメモのほうが新しい。税制改正前の手順も残っている。税理士事務所で所内マニュアルを整えようとすると、文章を書く前に「どれを正しい手順として扱うか」で止まることがあります。
この状態で資料をまとめて生成AIに渡すと、古い手順や例外対応まで、同じ重みの情報として読みやすく整えてしまいます。文章を早く作ることはできても、正しいマニュアルになるとは限りません。
先に決めておきたいのは、「何を正本にするか」「どこまで生成AIに渡すか」「誰が改訂を承認するか」です。本稿では、税理士事務所の所内マニュアルを作成・更新する流れの中で、生成AIに任せやすい工程と、人が判断を残しておきたい工程を分けて見ていきます。
税理士事務所の所内マニュアルを生成AIで整える前に、正本を決める
最初に、現在使われている資料を集めます。対象は正式なマニュアルだけではありません。
- 共有フォルダの手順書
- 月次・決算・申告業務のチェックリスト
- 引き継ぎメモ
- 所内チャットに残った補足
- 個人PCに置かれた作業メモ
- 新人研修で使っている資料
ここで重要なのは、すべてをそのまま生成AIに読み込ませることではなく、「今後どの文書を正本として扱うか」を決めることです。
同じ業務に複数の説明がある場合は、最新版、責任者、適用範囲を確認します。判断が分かれている部分は無理に統合せず、「確認が必要な箇所」として残します。生成AIに統合させる前に、人が決めるべき論点を分離しておくためです。
生成AIに任せやすいのは初稿・差分抽出・FAQ化
正本が決まった後は、文章加工の工程を生成AIに渡しやすくなります。
たとえば、箇条書きの手順メモから章立てを作る、既存マニュアルの表現を揃える、新旧2版の差分を抜き出す、よく使う手順をFAQ形式へ変換する、といった作業です。
この段階では、生成AIに「正しい税務手順を考えてもらう」のではなく、確認済みの材料を「読みやすい形に変換してもらう」と役割を限定すると、レビュー箇所を絞りやすくなります。
特に税法や制度に関わる手順では、改正内容そのものを生成AIの記憶だけに尋ねるのではなく、国税庁などの一次資料を確認対象として渡し、既存マニュアルのどこに影響するかを抽出させる使い方が向いています。
税制改正時の更新は「一次資料 → 影響箇所 → 承認」の順にする
マニュアルが古くなりやすい理由の一つは、改正情報を知ることと、所内手順を書き換えることが別工程だからです。
更新時は、次の流れを固定しておくと管理しやすくなります。
- 改正条文、国税庁資料、税理士会の資料などの一次情報を確認する
- 生成AIに既存マニュアルとの関係箇所を抽出させる
- 担当者が改訂方針を決める
- 生成AIに改訂案と変更差分を作らせる
- 責任者が承認し、更新日と変更履歴を残す
生成AIが担当するのは、主に2と4です。税務上の判断や事務所としての運用方針は、人の承認工程に残します。
こうしておくと、「いつの間にか本文が書き換わっていた」という状態を避けやすくなります。後から確認するときも、一次資料、変更理由、承認者をたどれます。
生成AIでマニュアルを横断検索する前に、アクセス権を棚卸しする
複数のマニュアルや規程を横断して検索できるようにすると、「どこに書いてあるか分からない」という負担を減らせます。一方で、検索できる範囲は権限設計と切り離せません。
Microsoft 365 Copilotについて、Microsoftは、Microsoft Graph経由でアクセスされるプロンプト・応答・データは基礎LLMのトレーニングには使われず、Copilotが表示する組織データは、そのユーザーが少なくとも表示権限を持つ範囲だと説明しています。つまり、元のSharePointやMicrosoft 365側で広く閲覧権限が付いていれば、その権限設計がCopilot側にも影響します。
「生成AIから見えないようにする」設定だけを考えるのではなく、元の文書管理で誰に何が見えているかを先に棚卸しする必要があります。
顧問先情報を含むマニュアルは、生成AIへ渡す前に区分する
税理士事務所の所内マニュアルには、一般的な業務手順だけでなく、顧問先固有の事情、担当者の個人情報、顧問先との合意事項などが混ざることがあります。
個人情報保護委員会は2023年6月2日、生成AIサービスの利用に関する注意喚起を公表し、個人情報取扱事業者などに対して、生成AIへ個人情報を入力する場合の留意点を示しています。
マニュアル整備では、少なくとも次の区分を作ってから生成AIへ渡す範囲を決めると扱いやすくなります。
| 区分 | 例 | 生成AIに渡すときの考え方 |
|---|---|---|
| 公開情報 | 国税庁資料、公開済み手続案内 | 一次資料の版・確認日を合わせる |
| 所内一般 | 一般的な作業手順、研修資料 | 利用サービスとアクセス権を確認する |
| 個別・機密 | 顧問先固有情報、個人情報、契約上の秘密 | 外部AIへ渡す前に守秘義務・契約・利用条件を個別に確認する |
外部AIサービスへの入力可否は、税理士に課される守秘義務、個人情報保護法、顧問先との契約、事務所内規程、利用するサービスの契約条件などと照らして判断します。個別案件の適法性を一般化せず、必要に応じて税理士会などの最新情報も確認します。
税理士事務所のマニュアルを陳腐化させない改訂サイクル
マニュアルは、一度完成させることより、古くなった箇所を見つけて直せる状態を維持することのほうが重要です。
日常業務の中には、改訂候補が自然に生まれる場所があります。
- マニュアルを見ても判断できなかった質問
- 月次・決算レビューで繰り返し修正される箇所
- 税制改正や会計ソフト変更で手順が変わった箇所
- 新人研修で説明を追加した箇所
- 顧問先ごとの例外対応が増え、一般ルールとの境界が曖昧になった箇所
これらを「マニュアルに反映する候補」として一か所に集めます。月次や四半期など決めたタイミングで生成AIに分類・重複整理をさせ、担当者が採否を判断し、承認後に正本へ反映します。
この形なら、生成AIはマニュアルを書くためだけの道具ではなく、更新候補を見つけて改訂を続けるための補助として使えます。
最初は一つの定型業務から、所内マニュアルを作る
最初から事務所全体の文書を対象にする必要はありません。
たとえば、新人が最初に担当する一つの月次業務を選び、公開情報と所内一般情報だけで手順を作ります。正本、責任者、更新日、承認方法まで決めたうえで、初稿作成とFAQ化だけ生成AIに任せます。
この一業務で「どの資料を集めるか」「どこで人が判断するか」「どう更新するか」が固まれば、次の業務へ同じ型を展開できます。
税理士事務所の所内マニュアル整備では、生成AIを使う範囲より先に、正本・権限・承認・更新履歴を決めることが土台になります。文章生成を速くするだけでなく、担当者が変わっても同じ手順をたどれ、変更理由を後から確認できる状態まで含めて設計すると、マニュアルが業務の中で使われ続けやすくなります。
参考
以下は2026年8月24日に確認しています。
- 個人情報保護委員会「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等について(令和5年6月2日)」: https://www.ppc.go.jp/news/press/2023/230602kouhou/
- Microsoft Learn「Microsoft 365 Copilot のデータ、プライバシー、セキュリティ」: https://learn.microsoft.com/ja-jp/microsoft-365/copilot/microsoft-365-copilot-privacy
- 経済産業省「AI事業者ガイドライン(第1.2版)」: https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/ai_shakai_jisso/20260331_report.html