AIが挙げた判例を業務文書に使う前には、判例の実在、引用文の一致、その判例が今回の主張を支えるかを分けて確認しましょう。事件名が検索で見つかっただけで確認を終えず、原文の該当箇所まで読む手順を提案します。
海外の裁判所資料には、存在しない判例を提出した事例と、実在する判決にない文章を引用した事例があります。ここでは米国のMataとKaurの制裁資料を読み、その違いから日本の士業事務所でも検討できる確認手順を整理します。海外の制裁額や要件を、日本の案件へそのまま適用する説明ではありません。
Mata事件では何が問題になったか
米国ニューヨーク南部地区連邦地裁のMata v. Aviancaでは、ChatGPTが生成した存在しない判例が書面に使われ、裁判所から実在性を問われた後も、その判例に依拠する対応が続きました。2023年6月22日付の制裁決定(1〜2ページ)は、AIの利用自体を不適切とするのではなく、提出内容の正確性を確保する弁護士の責任と、その後の対応を問題にしています。
決定の34ページでは、対象の弁護士らと法律事務所に連帯して5,000ドルを支払う制裁を科し、依頼者と、架空の判例の執筆者とされた裁判官への通知も命じています。
この事例から本記事が提案する確認点は、AIの回答で判例の実在を確定せず原資料を取得することと、疑義が出たときの訂正経路を先に決めることです。裁判所の認定と、事務所向けの運用提案は分けて扱います。
Kaur事件は「実在する判決の誤引用」だった
米国ニューヨーク北部地区連邦地裁のKaur v. Dessoの2025年7月9日付命令は、AIを使った書面に、引用先の判決には存在しない文章が含まれていたと指摘しています。3ページでは、実在する最高裁判決Landon v. Plasenciaについても、引用された文章が判決にないことを具体的に挙げています。
命令の9〜10ページでは、担当弁護士への1,000ドルの金銭制裁に加え、AIを法律文書作成に使う際の研修の修了と、依頼者への命令書送達について、証明の提出を命じています。
ここで点検したいのは、「判例を見つけた」と「引用内容を確かめた」を同じ完了状態にしないことです。原文の文章とAIの引用を比較し、要約の場合も、その要約がどの箇所に基づくかを残す運用を提案します。
AIに「本当か」と聞き直せばよいか
確認の根拠には、AIの再回答だけでなく、裁判所資料や利用権限のある判例データベースの原文を使いましょう。
イングランド・ウェールズ高等法院のAyindeとAl-Harounを扱った2025年6月6日付判断の第87段落は、AIに不確かな場合は答えないよう求めたり、主張の弱点を尋ねたりすることでリスクが大きく減るとは考えず、権威ある資料との照合を重要な対策としています。
この点を踏まえ、本記事では、AIが示したリンク・事件番号を調査の入口として扱い、原文確認の担当者が引用の採否を記録する手順を提案します。出典表示と回答の正しさの違いは、RAGの引用元を確認する記事でも扱っています。
提出前に使う出典確認表
次の表は、判例を含む文書を確認するための設計例です。案件の担当者と、提出内容の判断を担う人が、確認する範囲を先に決めて使うことを想定しています。
| 確認すること | 残す情報 | 判断できない場合の扱い |
|---|---|---|
| 判例を特定できるか | 裁判所、年月日、事件番号、掲載誌・データベース、取得先 | 表記を照合し、原資料を探す担当者へ回す |
| 引用文が原文にあるか | ページ・段落、原文の該当箇所、文書側の引用箇所 | 引用としての採用を保留し、取得した原文を再確認する |
| 要約が原文の条件を保つか | 判断の前提、例外、結論と要約の対応 | 限定条件を補うか、要約を修正する |
| 今回の主張を支えるか | 事案・争点と今回の利用目的の対応 | 担当者が適用の可否を再検討する |
| 後続の判断や法令変更を確認したか | 確認した資料と時点、検討が残る範囲 | 調査の範囲を明示し、採否判断へ回す |
| 誰が提出を承認するか | 確認者、採否と理由、対象文書の版 | 責任者の確認が済むまで提出用に確定しない |
文書を直した後は、引用箇所の番号や結論も変わっていないか確認します。以前の版への確認を、そのまま新しい版の承認へ流用しない運用にしましょう。
検索して見つからない判例は、架空と断定してよいか
日本の裁判所の裁判例検索は、すべての判決等が掲載されているわけではないと案内しています。このため、本記事では「検索結果にない」と「存在しない」を分けて記録することを提案します。
見つからない場合は、裁判所名・日付・事件番号・掲載誌の表記を確かめ、提供元へ原資料を求めるか、利用権限のある別のデータベースで調べます。原文を取得できない引用は、事実として採用せず、保留理由と次の確認先を残しましょう。
例えば、次は記録方法の架空例です。
| 架空の確認状況 | 記録の例 | 次の対応例 |
|---|---|---|
| 架空の調査で、公開検索に該当結果がない | 原文取得待ち。検索先・条件・確認日を記録 | 提供元へ原資料の所在を確認する |
| 架空の調査で、事件は見つかったが引用文がない | 原文と引用文が不一致。該当ページを記録 | 引用を取り下げ、主張を原資料から再検討する |
| 架空の調査で、要約が例外条件を落としている | 要約を修正。元の条件と修正箇所を記録 | 文書全体の結論への影響を再確認する |
提出後に誤引用へ気づいたらどうするか
誤りに気づいたときの社内手順も、導入前に決めておくことを提案します。
- 誤りを含む文書と参照元を保存し、追加の配布・利用を止める。
- 該当箇所、既に渡した相手、文書の版を一覧にする。
- 案件の責任者へ報告し、訂正・差替え・説明の要否と方法を判断する。
- 同じ原稿やテンプレートから作った他の文書にも、同じ誤引用がないか確認する。
- 訂正した版と、判断・連絡の記録を残す。
これは社内手順の設計案です。裁判所への提出済み書面など、具体的な訂正手続と期限は、案件を担当する専門家が確認してください。誤りを含む版を黙って上書きして、確認経緯が消える運用は避けましょう。
確認の記録項目はAI利用ログの残し方、依頼者情報を入力する条件は情報管理の確認手順へつなげて検討できます。出典確認が済んだことと、依頼者情報をそのサービスへ送ってよいことは、別々に確認してください。